東北レジャー情報誌『遊歩楽』 9月号に掲載されました。

東北レジャー雑誌『遊歩楽』内の連載「セカンド・スタート」にて、 紹介されました。 このコーナーは、それまで歩んできた人生とは全く別のライフスタイルを選び、再出発した人への応援をこめた、人生の第二章という意味です。
(←クリックで拡大)

--------------------------------------------------
以下、雑誌からの転載です。

■生涯、働き続ける方が人間的なのかもしれない
 人は、一生働いている方が幸せである。定年という制度があり、人は一定の年令を過ぎると労働から解放される。しかし、かつては農家には定年などなく、世代交代して世帯主が変わっても、労働はあった。 労働とは、自分の任務であり、責任分担である。生きる居場所であり、拠り所である。それを失うと、自分の存在価値さえ失われ、生きる意味を見失う。
 人は一生働き続けるのが、一見酷なようだが、より人間的なのではないだろうか。横尾千代乃さんの話を聞きながら、そう思った。

■梅ヶ枝清水の伝説を多くの人に伝えたい
 千代乃さんが嫁いだ横尾家は、東根市の旧家である。
 東根市は山形県山形市の北、新庄市との中間にある。国道沿いにさくらんぼ東根温泉があるが、国道から白水川上流に分け入ったあたりに、東根旧城下町がある。
 城下町といっても、藩政期ではない。もっと昔、最上氏がこのあたり一帯を治めていた戦国時代の話である。外から訪れる人もなく、ぽつんと時代に残されていた。
 今、東根市では、遊歩道や公園などを整備して、往時を物語る町並みを保存しようとしている。日本で最も古いといわれる、樹齢1600年の大けやきが城跡に、今も元気に緑なす。横尾家の近くには今「東の杜資料館」として開放されている所もある。
 千代乃さんは一男一女を育て上げた後、御主人が定年で退いた保険会社に、外交員として就職して16年になる。御主人と旅行している時など、将来の夢を話しあったという。横尾千代乃さんの家には涌き水がある。地元の人は「めがすず」と言うが、正確には「梅ヶ枝清水」である。それにまつわる伝説があった。
 東根18代城主の弟、広台(こうだい)が鷹の巣を取ろうと、過って岩場から落ちて亡くなった。愛妻の梅ヶ枝姫は、悲しみのあまり泉に身を投げて後を追った。その清水が横尾千代乃さんの庭にある。
 御主人は各地の展示館やレストランとして開放された蔵や古民家を見学しながら、自分達の家も、そんな形で多くの人に開放したいと考えるようになったと言う。二つある蔵のうち、一つは蔵座敷きになっていた。こぎれいな日本庭園があり、そこに伝説の「梅ヶ枝清水」が、今もこんこんと涌き出していた。それらを、多くの人に伝えたいと、計画は膨らんでいった。

■二人で語り合った夢を一人になっても実現したい
 ところが3年前に、御主人はガンで亡くなる。
 二人で夢を語り、周囲の人にも協力を仰ぎ、蔵の白壁や古民家の屋根を直したりして、準備をしてきた。それが突然頓挫した。
 横尾千代乃さんは、迷った。どうすべきなのか。このまま、何もしなくても食べるだけならどうにかなる。しかし子供達はみな独立し、広い屋敷に千代乃さんたった一人である。何もしないで、このまま年老いるのか。まだまだ、働ける。料理を作るのも好きだ。故人の意志もある。
 横尾千代乃さんは、遂に決心して、蔵や庭を開放して、和風料理店をオープンさせることにしたのである。二人で計画していた、当初の大がかりな事業展開はもう少し後にして、まずは料理店を、9月始め頃にオープンさせることになった。
 月替わりのメニューで、自分の畑や山で採れたもの、地元の食材を使った、横尾千代乃さんいわく、「田舎料理」を出そう。全部手作り料理にしよう。
 くるみご飯と、庭先の涌き水で養殖しているヤマメの焼き魚をメインに、山形のダシ、月山竹、東根の麩などの郷土料理が、古い絵皿や横尾家特注の黒か赤のお膳に並ぶ。  添加物を一切使わない、自然の味、素材の味を生かそうと、台所からすべての化学調味料や保存料の入った食品を排除した。
 夏は涼しく冬は暖かい、30名程収容の蔵座敷きで、日本庭園を眺めながらの食事は、心も落ち着きそうである。

■自分を必要とする場所自ら作るのも生きがい
 横尾千代乃さんは、より苦労の道を選んだのか。いや、そうではないと思う。千代乃さんは、自分を必要とする居場所を、自分で作り出したのである。
 10年前には、樹齢400年の大イチョウが計画道路に引っ掛かって困ったことになった。地区の人々と一緒にイチョウの木を助けたくて走りまわった。現在、移植して元気で緑の葉を開いている。「あの大けやきもこのイチョウの木も立派に生きている。私もパワーをいただいてまっすぐに生きてゆきたい」と語る千代乃さん。
 働くことが生涯の楽しみで、いいのだと思う。居場所があって、人は生きられるのである。